ミカエルとルシファーの最終決戦が行われようとしていた。
彼らの戦いは熾烈を極め、人間が割ってはいるなど無謀を越えて馬鹿のすることだ。
それでも、彼は「行く」と言う。
そこに、待っているものがいるからだと。
一人では死なせないと語るその姿は並々ならぬ決心と覚悟を携えていた。
だから、私も付き合うことにした。
彼の馬鹿は今に始まったことでないし、ここまでくればもはや最期まで見届けたい。
彼を地獄から連れ出したのは私だ。
その彼を見届けるのは私の使命でもある気がする。
ルシファーとミカエルに一泡吹かせることが出来ただけでも、自分を褒めたい。
まさか、二度も吹っ飛ばされるとは思いもしなかったが。
ただ、そのおかげで私は神に、父に逢うことができた。
溢れんばかりの神々しい光に総てを包み込む温かな空気。
姿形は見えずとも、そこに“いる”のはわかる。
「・・・・神」
「どうして、我らをお救いにならない?どうして何もしてくださらない?」
わたしにできるのは、見守ることだけだ
「?こんな状況を見ているだけ?心苦しくはおなりにならない?!」
きみが思う以上に心は痛んで苦しい
「ならば」
だが、それでもわたしにできるのは見守ることだけだ
「どうして!皆が祈っている!皆が神の力を願い祈り続けているのに!」
わたしの力などもはや無力
「莫迦な・・・神の力は偉大だ。他の誰も成さない力を持っているはずだ」
それはただの思い込みだ
「私を復活させた!それは」
わたしに出来る唯一の親心だ
「・・・・」
カスティエル、わたしは皆を愛している
神の愛は不変で、決してひいきはない
わたしはこの星を作ったが、もはやわたしの手にこの星はない
この手を離れていった星はそこに存在する人間達のものなのだ
親というものはいつまでも口出すものではない
この巣立ちを見守ることこそ親の使命
見守るということが、どれだけ辛いことかお前にもわかるはずだ
たとえどんなことが起ころうとも怒ってもそれでも手を出してはならん
ルシファーにもそう話したが、わたしの想いは伝わることはなかった
人間達を滅ぼさんとしておったルシファーを止めるには仕様のなかったことだ
「だが、今回、世の終末が始まった。さすればたくさんの命が犠牲になることも存じていたはずだ。それでも知らん顔で見通せと仰るか」
わたしの命は残り少ない
それを止めるだけの力がわたしにはないんだ
「命?」
神とて限りある命の存在にすぎない
それが長いか短いかだけの違いだ
“死”が我を見張っている
「父よ・・・神よ」
カスティエル、どうかお願いだ
君をもう一度復活させる
きっとその時には全てが終わっているはずだ
ルシファーはミカエルと共に檻に戻り、一時の平和が戻る
だが、天は大天使がいなくなることで混乱を招くだろう
その後を君に任せたい
「ミカエルも・・・?」
それもまた分かっていたことだ
ミカエルもまた自分の運命に固執するあまり、本来の使命を見失っていた
だからこそ、堕ちるのだ
「私にそのような使命など身が重すぎます。神がいなくては」
わたしなど必要ない
分かっているだろう、カスティエル
神の存在に救いを求めるのは自らの責任から逃れたい一心だと言うことを
「・・・・サムは」
・・・・わたしにも分からぬことがある
一つ言えるのは、自らの責任から決して目を背けず立ち向かったと言うことだけだ
「・・・・」
遠回しに釘を刺されたのだと知った。
私は自らの責任を負わねばならないのだ。
天国を再び統一せねばならない。
見守る・・・それがどれだけ辛いか今回のことで身を持って知った。
私の予想を超えるディーンの動きを見ていることしかできないことがどれだけ辛かったか。
助けたくても助けられない・・・そうか神も同じだったのだ。
神も命ある生き物ならば、我らも人間と同じ。
天使とて何も変わりはない。もちろん、悪魔も。
私は私の責任から逃げはしない。
それを君たちから学んだ。
サム、ディーン・・・・親愛なる友人よ。
辛いだろうが、どうかこの現実から目を背けないでほしい。
立派なことを成し遂げたことを忘れないで欲しい。
私は天から君たちを見守り続ける。
やるべきことを成した君たちにいつか幸降り注らんことを
END
あとがき
これは、かの有名なジ〇リの巨匠宮〇駿監督の考察を見事に当てている!と感動したことから思いつきました。
リンクもさせていただいてるのですが、それは樺〇紫苑先生です。
監督も決して子の作る作品に口出しをしなかった。ずっと見守り続けたと先生は仰っていたことにすごい感銘を受けまして。
中には全く関与しない監督を見て「無関心すぎる」とか「もっと構ってあげれば」と色んな非難な声が上がっていたそうです。
その声に真っ向から反論したのが先生です。
私もそうだなと思いました。
勿論、色んな解釈があって当たり前ですが、私は成長するには親が口を挟んでいてはできないと思います。
子を信じて見守るほうが大変で、勇気のいることだと思うのです。
子供を信じて見守る。そして必要なときにはそっと手を差し出す。口でなく手。これが大事です。
それをこのSPNに当てはめて書いてみました。
まさにこの神も天使や人間を見守り、必要なときにはそっと手を差し出した。
どうでしょうか(笑)
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